ウクライナフェスティバル2006/7/29、30名古屋国際センターにてウクライナフェスティヴァルが開催された。名古屋市では半年に一度在住外国人から民間大使なるものを選出し、その国のフェスティヴァルを行う仕組みになっている。しかし予算削減の流れの中この民間大使制度も今回で最終。その最後の民間大使がウクライナ人のBさんとなった。よってウクライナフェスティヴァルが開催されることとなった。こんな素晴らしいイベントが行われたのもBさんのおかげと言っても過言ではない。ありがとうございました。 まずはオープニングセレモニー。お偉い様方のお話。ウクライナ大使館の方もいらっしゃっていた。それにしても凄い人!ウクライナでこんなんに人が来るなんて、感動的!!!セレモニーのあとは『コザッチェニキ』というウクライナ民族音楽のバンドによるオープニングコンサート。愛知万博のウクライナパビリオンでも活躍していた。今回はその人気を受けての再来日となった。またこの音楽が盛り上がる。 当協会はウクライナの紹介したブックレットの販売、写真展、そして会長によるスライドを使ったウクライナ講演。特に講演は磨きがかかっており、最近ではウクライナ漫談といわれるくらい笑いを掴む。流石大阪人と思うくらいだ。 そして口癖が 『それでは皆さん私と一緒にウクライナへ行きましょう!』 この言葉で講演を聞いた方たちで本当にツアーを組んで9月に会長とウクライナへ行くから凄い!!! 是非聞いてみたいというかたはメールください!あなたもきっとウクライナが好きになることでしょう! ウクライナとの交流の草分け的存在と言えば京都の寺田バレエアートスクールだ。寺田氏は11歳の頃からキエフにバレエ留学しており現在30歳。氏を題材にした本を一度読んだことがありこんなところで講演を見れるとは感動的だった。 写真はすべて日本人。ウクライナ人男性が二人ほど来日していたがそれ以外はみんな日本人だ。ウクライナコサックの民族舞踊『ゴパック』をここまでこなしているとは圧巻だった。 素晴らしいの一言に尽きる。『ゴパック』とはコサックダンスのことだ。ただ日本で知られているコサックダンスはロシアの両腕を組んでしゃがんで片足づつ交互に蹴って飛ぶものを想像するであろう。しかしゴパックはその想像をはるかに超えたバレエの要素も多った入った踊りである。そしてロシアのそれよりも明るい。是非一度見て頂きたい。 コサックはウクライナの侍である。ロシアのコサックはエカテリーナ二世が強制的にウクライナからロシアへ移住させられたコサックの末裔がコーカサス地方など様々な文化と混ざり合って出来たものである。 よってオリジナルのウクライナコサックとはかなり違った面があると言えよう。 ピーサンキ作り。ピーサンキとはイースターエッグのこと。真ん中はバンドゥーラ。そしてボルシチとウクライナの黒パンの販売も。ボルシチはよく我が家でも出てくるがここのボルシチは美味かった。聞けばやっぱりウクライナ人が作ったらしい。黒パンが最高。ただこのパン初めて食べる方には不人気。食べなれてくると癖になる味なのだ。 左はチェルノブイリ被爆者の子供が書いた絵。原子力発電所の絵だ。深く子供の心を傷つけそして今でもその後遺症に悩んでいるはずだ。チェルノブイリについて思い出しもらいたい。出来れば時間のあるときにでもこのサイトをご覧になってください! 『エレナのチェルノブイリへのバイク旅』 ウクライナの民芸品売り場。こちらはチェルノブイリへの義援金となる。チェルノブイリ中部さんの出店。 そして右はウクライナのクリミアワイン。ユーラシア協会愛知県連さんの出店。 そんなこんなで二日間あっという間。最後の交流パーティーではコザッチェニキの音楽に合わせダンス大会。ウクライナワインとウクライナ料理に舌鼓。 この二日間本当にいろんな人に出会った。 万博でウクライナ好きになった小学生の女の子とお母さん。万博終了のときにウクライナパビリオンで働いていたウクライナ人からロシア語の手紙をもらった。手紙に書いてある意味はさっぱりわからない。しかし初めて出来たウクライナの友人からもらった手紙。大事に大事にとっておいた。 そして今回のウクライナフェスティバルにやってきた。 その手紙を自分に見せてくれた。そして手紙を通訳してあげた。 お母さんも涙を流して喜んでくれた。 『いつか誰かに通訳してもらって、手紙の内容が知りたかったんです。本当にありがとうございました。』 ウクライナを好きになってくれてこっちのほうが嬉しくて涙が出て来そうになった...ありがとうございます。 そのほか出会った皆さん本当にありがとう。こんな素晴らしい会に参加できて本当に嬉しいの一言に尽きる。これからも日本とウクライナの文化交流に力を入れていこう!!! TOP PAGEへ戻る。 |